蔵の歴史
名古屋市守山で
150年以上の歴史
創業は、江戸末期・元治2年(1865年)。
杜氏、名古屋城の櫓を建造する予定の
材木を譲り受け、
創業者・佐藤東兵衛が
当地(善光寺街道筋)に酒蔵を建造。
屋号を龍田屋とし、
酒造りを始めました。
創業者の名前より「東」、
屋号より「龍」をとり、
「東龍」と改め現在に至っています。
江戸時代末期(1865年/元治2年)。庄屋として近隣地域を統轄する役目を担っていた佐藤家には、地域の米が集められ、敷地内には木曽山川の伏流水といわれる井戸水が湧く井戸にも恵まれていました。また、善光寺街道(下街道)筋でもあったことから、当時、名古屋城の隅櫓(すみやぐら)を改築するための木材も集められる場所となっていました。
そこで創業者となる佐藤東兵衛は、それらの木材を譲り受け、酒蔵を建造。「龍田屋」を屋号、「菅公」を銘柄として、酒造りを始めました。
創業より50有余年。創業者・佐藤東兵衛の名前にある“東”の文字と、その東の守り神である青龍の“龍”、そして創業当時の屋号・龍田屋の“龍”を受け、1921年に銘柄を「東龍」と改め、現在に至っています。
当地に残る酒蔵は創業当初のまま現存しており、高く土を盛った石垣の上に建つその姿は、とても印象的です。これは「蔵式水屋(※)」と言われ、当地が庄内川と矢田川に囲まれた「瀬古村輪中」といわれる、よく水害にみまわれる地域であったことから、先人たちはこのような技法で、水害の危険から大切なものを避難させて守り抜いてきました。
※蔵式水屋:名古屋市守山区瀬古西コース「明治産業遺産と水屋をたずねて」の経由地にもなっております。
歴史的背景
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龍田屋
近くに尾張四観音の一つである龍泉寺(名古屋市守山区)があることにも起因しているのではないかといわれています。
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銘柄「菅公」
当時氏神様である瀬古高牟神社には、平安末期から鎌倉時代前期にかけて活躍した武人で鎌倉幕府御家人の山田重忠が納めたとされる「菅原道真公の軸」がありました。それは、瀬古村の人々の宝であったことから「菅公」とつけられました。
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「菅原道真公の軸」にかかわる天神橋の逸話
江戸時代後期の天保の頃(1830年-1844年)、瀬古高牟神社の神職はお金に困って道真公の軸を質入れして金の工面をした。しかし、これを受け戻すことができず、道真公の軸は質屋のものになってしまう。
話を聞いた村人たちが質屋に行き、なんとか返してくれるように説得するも話し合いがつかず、ついには裁判沙汰となり、神社と質屋で半年ごとに所有するということで折り合いを付けることになった。
質屋は矢田川の南にあり、半年ごとに道真公(天神様)の軸を運ぶ村人たちがしずしずと渡ったことから天神橋と名付けられたと伝わる。
150年以上の歩み
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1865年
創業者佐藤東兵衛が、
屋号を龍田屋銘柄を菅公として酒造りを始める。 -
1906年
佐藤東一郎2代目当主
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1921年
銘柄を東龍に改める。
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1941年
佐藤博3代目当主
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1948年
会社設立(東春酒造株式会社)
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1953年
佐藤ひで4代目当主
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1974年
佐藤一幸5代目当主
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1985年
新蔵建造
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2002年
佐藤幸彦6代目当主