愛知県酒造史
2026.03.06
愛知県酒造史[Ⅰ]
故農学博士 山下 勝氏が、昭和44年から昭和53年にかけて醸造評論に連載された「愛知県酒造史」より抜粋したものです。
◎古代の酒
古代の酒造技術と酒の形について明確にしるした文献は見あたらないが、古事記(712)、播磨風土記(715)、日本書記(720)等の記紀及び万葉集(759)、令集解(868)、延喜式(913)等の古文献に散見される酒に関する記録を総合すれば下記のように考えられる。
(1)大和民族の酒…日本土着民族の酒。
(2)出雲民族の酒…朝鮮半島もしくは中国大陸からの移住民族、大陸と文化交流があったために大陸の酒造技術の影響が考えられる酒。
(3)大和朝廷の酒…応神天皇の時代に来朝した大陸からの帰化人の酒造技術によって造られた酒が考えられる(坂口謹一郎氏)。
延喜式には奈良朝(708)より平安末期(913)にかけての朝廷の酒蔵組織や酒の造り方がくわしく印されている。この中に神代の酒といわれている新嘗祭用の酒の白酒、黒酒の製造方法が述べられている。愛知県の酒が何時頃どこで造り始められたかは明らかではないが、一宮市の酒見神社にはこの白酒、黒酒の道具や、酒槽(石製)、酒カメ等が現存しており、おそらくこの頃の酒造設備、道具が残存しているものと考えられ、奈良から平安時代に当地で朝廷風の酒造りが行われていたものと思われる。
又同じ延喜式伊勢大神宮六月月次祭の条に「神酒二十缶尾張三缶…」、また九月神嘗祭の条に「神酒二十缶、尾張国…各一缶以神税醸造」とある。大化以後知多五郷の中贄代郷(半田~河和)は大神宮と関係が深かったから酒が造られたのであろう。以上の二点より尾張の一宮地区、知多地区において古くより酒造が行われていたことはたしかであるが、以後この系譜が大きく発展した様子は認められない。
